厚田から十余年

2015年11月10日

みなさん何時見てもこんにちは。

冬支度を前に押入れを整理していたらこんなものが出てきました。何なのかわかります?
「厚田村・UFOパーク」での№プレートですね。知ってる人何人いるか…。
友人と弟のナンバーもある。


参加者はもれなくこれを着用してました。不正があった場合ナンバーで司会者に申告する
画期的なシステム。意外と良かったですね。「米軍装備の奴がゾンビだ!」と言われても
米軍だらけ(笑)ナンバーならハッキリして良かったかな。

あと、こんなものも出てきました。「エンディバー」会員証。ああ、懐かしや×2


ホロフカが初めて“電動ガン”を買ったお店です。サバゲ―を始めようと思った訳でもなく
なんかオモチャがほしいな、ラジコンとどっちにしようかな?みたいなお手軽スナック
感覚で買いましたね。

買ったのは東京マルイ「AK-47S」でした。当時、テレビで見る“悪い人”“ゲリラ”は
みんなコレ持ってましたからね。「モーゼル98K」とも迷ったんですが、こっちを選び、
その日のうちに“とあるタクティカルなチーム”にサバイバルゲームに誘っていただき、
現在のサバゲライフになります。


あの日買ったのがもし、単発モーゼルだったら初心者の俺はサバゲ―の楽しさを
見いだせなかったでしょう。
AKを選んだだけ、それだけでその後が変わりました(笑)



厚田では無線で組織的な戦闘を経験しました。大人数チームが群雄割拠した時代。
ホロフカも小さな一軍を率いる「隊長」と呼ばれていた時代がありました。(遠い目)
懐かしい写真も貼ろう。東ドイツ+中国という謎装備。…やだ、俺若いー。(笑)

厚田の、特に森林フィールドで遊ぶ時には無線機が大活躍でした。なにせ森林です。
ターザンじゃなし大声出したって通りませんし、札幌の強豪チームが集合するそんな
フィールドで大声自体が自殺行為になりました。

そこで無線機。私のコールサインは「アパッチ」チームメイトは「ナバホ」「スー」「モヒカン」「イロコイ」…うちのチームは“インディアンの部族名”で統一してました(笑)
モヒカンは実際モヒカンでした。今も時々モヒカンです。



スタート前作戦では若手の我々は主に“搖動部隊”として、最前線まで走って
騒げるだけ騒いで逃げ帰るという単純明快な役割が与えられました(笑)

我々に食い付いた敵を引き付け足止め、その間に米軍装備の精鋭チームと
ドイツ装備の有名チームが旗を狙う、、
ああ、なんてダイナミックな時代だったんだろう(また遠い目)

うちのチームは奇襲、搖動、待ち伏せがメインで“正攻法”では勝てませんでした。
原因は“統率力の無さ”、唯一にして致命傷です(笑)
写真のバラバラな装備見ても伝わると思います。


隊長である私からして“すないぱー”気取りで単独行動の上、指示なし(笑)
米軍、独軍のチームと合同で遊んだ時は、統率力の無さ、アグレッシブな個々、
などの特徴から「リアルなゲリラ役」として珍重されました。



あるいは自主訓練時のアグレッサー部隊として呼んでいただきました。


仲は良いし、今でも集まって遊ぶ仲間ですがチームは自然解散、
ゴルフに山登りに魚釣り。。。
みんな大人になっていきました(遠い目)




え、俺ですか?
いまだにサバゲ―してますけど。なにか?



  

Posted by ホロフカ at 03:51Comments(8)雑談・その他

あの日聞いた艦の名前を僕達はまだ知らない

2015年08月19日

戦後70年だそうですね。提督の皆さん「また」こんにちは。ホロフカです。
8月15日を過ぎたらTVは戦争のセの字も放送しないんですね。流行り物なんですか?

前回の瑞鶴に次いで第2弾の話、親戚のじいちゃんから焼肉を食べながら聞いた話。


G「ホロフカくん、わしも昔は戦争に行っておってな。船に乗っておったがな。」
ホ「海軍さんで、、なんと言う名前の戦艦だったんですか?」
G「だから戦艦だったがな、アリューシャンやレイテも行った、アメリカは
強かったな、○トウの○チクだが根性はあったがな。」


私が何回かさりげなく艦名を何回か聞くが、そのたびに話題がかみ合わない。
老人独自の高いスルースキルと思われる。その後もまだ話は続く。

G「艦の後ろが平らになっててな、そこから艦載機がバーっと飛んでくがな。」
ホ「艦載機?え?戦艦じゃなくて?ですか?航空母艦じゃないんで?」
G「さっきから戦艦だって言ってるがな、砲撃もできるがな。」

たまらず親戚の娘に確認する「大丈夫、ボケてないし。」でも戦艦で飛行機が
発着する?大和とかについてる水上飛行機じゃなく?たぶんゲームでしかないぞ
そんな要塞空母みたいなヤツ。

G「最後は国に戻って来てたんだが、グラマンがどっからか飛んできてな、
ダンダカ、ダンダカ爆弾落としてな!わしが戻ったころには船は真っ黒に
なっとった、四方八方からワヤクチャだった!あの青色は今でも好かん」

最後は国内の港に停泊中にアメリカ軍機に沈められたらしい、その間じいちゃんは
車で(?!)迎えに来たエライさん(?!)と昼食だか晩飯だかに出かけていて、
ちょうど艦を離れていたらしい。料亭(?!)に来た伝令の報告で初めてファっ!
となったらしい。そもそも、じいちゃんの軍服の色は白だったらしい。

ここまで聞いて昼食の焼肉会はお開き。戦艦に興味のない私だが、徹底スルーされ
さすがに艦名が気になった、親戚の娘に「船の名前聞いて来い」とせっつくも、

「ありゅーしゃんからクワマンまで」フルセットで聞かされる上、戦艦名なぞ
興味がないと一蹴される。これだから一般JKは!クワマンじゃねーし!

ヒントは以下の通り。

①アリューシャン列島に行った、レイテ沖海戦に参加している。
②戦艦なのに艦載機を積んでる?もちろん戦艦の大砲も?あるらしい。
③最後は国内のドックで米軍機に沈められた。
④親戚のJKの話では3文字、ダラス?ヒューガ?だったかなと。


その後、自宅のPCで調べると程なくヒットする。
”戦艦「伊勢」”が①~③まで合致する情報が乗ってた。もやもやスッキリ。
ちなみに④は文字数すら合ってなかった。検索ワードの「3文字艦名」を早めに
消すべきで、クワマンとかダラスとか言ってる奴の話なんか聞くべきではなかった。

スッキリついでに、この「伊勢」は航空戦艦というジャンルの船で、お話通り艦載機も飛行甲板も砲も備えたよくばり艦である事がわかりました。あるんだ、こういうの。

さらには前にブログで書いた空母「瑞鶴」を護衛した事も判りました。感慨深いです。
名も知らぬ遠い親戚同士、同じ作戦とは…。運命って不思議です。

次回は私の祖父のお話を、祖父は中国で特別な警官をしていまして―戦後まもなく
進駐軍のMPが祖父の家に…、あ、これ以上はとてもとても、、、。


おじいちゃん、これは平成の「伊勢」です。  

Posted by ホロフカ at 11:06Comments(2)雑談・その他

瑞鶴の話

2015年08月10日

戦後70年だそうですね。提督の皆さんこんにちはホロフカです。

皆さんの周りには戦争に行かれた方、おりますか?今回は俺のとうちゃんの一番上の
兄さんの話を聞く機会がありましたので少々。いや、長文。


兄さんは召集令状(赤紙)をもらって「瑞鶴」という空母に乗ったそうです。
その一番後ろの対空砲の銃座か何かを任されていたそうで、手紙には飛行機の着艦が良く見え
たと書いてあったそうです。

聞けばこの瑞鶴という空母、ネットでしらべるとえらく幸運な船で建造時に死者なし、
数回の激戦でも被弾がない、もしくは一番少ないみたいな話が載ってます。いわゆる
「幸運艦」と呼ばれていたそうです。

ある年のお盆にこの兄さんの戦友だったという人が、お線香をあげに来てくれた時に
こんな話を聞きました。

なんでもこの方、兄さんの対空砲(高射砲?)に配置されていたが、レイテ沖海戦前日に
班替えがあって前の砲台に配置されたとの事。それが運命を変えたそうです。

その日、兄さんの班にえらい人(かなり嫌な人だったみたい)が、急にやってきて
「お前らの中、誰でもいいから前の砲台に行け!」と言われたそうです。そこで中々
決まらず代表である兄さんが「行きます」と言ったら「おさ(班長?)が抜ける気か!」と
殴られそうになったので、戦友さんがとっさに「俺が行きます!」と言ったそうです。

やがてレイテ沖海戦が始まり、敵の飛行機が猛攻を加えて来たそうです。「幸運艦」だけあり
初めての攻撃らしい攻撃を受けて混乱を極めたそうです。どう考えても完全な見間違いだが、
来てもいない味方機が来たから対空砲を止めるよう指示が出たり、上官も一箇所に2人3人
固まって怒鳴り合いしてたり。

そうこうしているうち、艦の後ろから大きな音、黒煙が上がったそうです。
(戦友さん「バガァァアーン!!」と大声、よほどの爆発だったと思われる)
兄さんの砲台だとすぐにわかったそうですが、持ち場は離れられません。

やがて総員退艦の命令が出た時、戦友さんはドサクサで兄さんを探しに行きましたが、
皆、大混乱。大の大人が悲鳴をあげて飛び出してたそうです。有名なこの退艦写真には
感じられないパニックがあった様です。甲板上では結局見つからなかったそうです。

いよいよ海に飛び込む事になり、白いふんどしをほっかむりにして頭に巻いたそうです。
海の中で見つけてもらいやすい様にそうするそうです。

海に飛び込んだ戦友さんは赤い目印のある材木を見つけてそれをつかんで浮いていましたが、
軍刀を抜いた将校が近寄ってきて脅しとられてしまったそうです。

次に戦友さんの近くに樽が流れて来たそうですが、丸い樽はつかまろうとするとクルリと
回って掴み切れなく四苦八苦したそうです。そうこうしていると一人の水兵さんが
現れて二人で反対同士押さえて回らぬようにつかんだそうです。

・・・歌声。はっきりと軍歌が聞こえてきたそうです、水面に浮かぶ水兵が喜びにも似た
大声で合唱したそうです。樽の反対側を押さえていた子供の様な水兵はその歌を聞きながら
死んだそうです。

また、樽が回りだしどうにもならなくなった時、出来過ぎですが、さっきの赤い目印の材木が
流れて来たそうです。必死に捕まえてそれでどうにか救助までしのいだそうです。


時々聞こえる悲鳴はサメに食われた人の声、恐ろしくなって泣いても、若い水兵の顔、なぜか
軍刀の将校の顔を思い出し泣いても、泣き止んでも尚、まだ助けは来なかったそうです。
ようやく助けが来た時には生きる死ぬがどうでも良くなった頃だそうです。


どれほどの体験だったのか、「だそうです」でしか語れない私が書き綴っても、戦友さんの
体験、思いの「万分の一」も伝え切れてないと思います。しかしここまで読んでくれた
あなたに何か伝われば幸いです。


時は流れ、時代は変わり、おかげさまでとても平和な日本で暮らしています。
平和しか知らないサバゲーで遊ぶ大人になりました。ゲームやごっこで楽しむ平和な時代。


「艦これ」。私は提督ではありませんが、ズイカクを見ると特別な思いがこみあげます


  

Posted by ホロフカ at 23:52Comments(4)雑談・その他